昨日に引き続き医療の SF を書いてみましたが、ものがたりを紡ぐのは本当に難しいです。
『パブロ・ハニー』
「よし、不老長寿の薬が完成したぞ」
ものすごく重いこの一言を、まるで銭湯終わりに番台でフルーツ牛乳を頼むような軽さでわたしは呟いた。
創薬したのはわたしだ。
正確には、わたしと最新 AI「プライア」による開発の果実だ。
創薬開始から 30 年の年月を要した。創薬したのは "不老不死" ではない。"不老長寿" である。
歳を取りづらくなるだけ。つまり「ピンピンコロリ」の「ピンピン」期間を伸延し、介護・介助が必要な終わりのないトンネルのような、暗い老年を回避して「コロリ」と逝ける夢の薬だ。
当然、最初に試すのは私。最初の 3 年で研究費は底をつき、医師免許を利用した単発バイトでなんとか食いつないできた。その艱難辛苦にまみれた 30 年を取り戻すのだー。
わたしは還暦を迎える誕生日にこの薬を服用した。
それから 10 年。わたしは人類初の「老化を止めた男」としてメディアに取り上げられ、SNSのフォロワーは気づけば世界中あわせて十億人を超えた。
「先生、20代にしか見えません!」「いつまでもお若い!」
当たり前だ。だって老化、止めてるんだから。
だが、15 年目頃から "飽き" が来た。
20 年目、80 歳となる頃、同期の多くが死を迎えるか、年相応に老いていった。
40 年目、同級生はみないなくなった。
そしてさらに年月が経った頃、もはや。
「あれ?〇〇先生、全然変わらないですね!」
「お元気そうで!おいくつでしたっけ……えっ!? 127 !?」とか言われることも無くなった。
・・・社会がもはやヒトとヒトがリアルに会うことを放棄したせいである。というよりもすべての "リアル" が放棄された。すべてバーチャルの世界。バーチャルの世界ですべての活動が行われる。幼い頃の無邪気な遊びも初恋のワクワクも学生時代の一途さも社会に出る厳しさも結婚や子育ての酸いも甘いも、すべて "想定された" プログラムのなかで行われる。そのプログラムがあること自体をヒトビトは忘れてしまっているようだ。
200 歳となった私はついに悟った。
「これは、呪いだ」と。
300 歳になった。
いまだ元気。元気すぎて腹が立つ。
そんなことを思っていると自分の網膜に直接画像を映出できるディスプレイに "お知らせ" の文字が。
まぶたを閉じてファイルを開くと「不老長寿リバースカプセル完成」とあった。
来たか。
噂には聞いていた。わたしの創薬に対してようやく「不老長寿をやめる"リバース薬」が完成したのだ。
つまり、老けられる薬である。
わたしは気づいた。ヒトは「枯れることができる」からこそ人生の終末期を充実して過ごせるのだ。
"元気でい続ける" ことは "充実した時間を過ごす" ことに対する必要条件でも十分条件でもない。
カプセルを手に取る。
琥珀色に輝く、これで命にピリオドを打てる。
「これを飲めば、あなたの老化は再開します」と、注意書きにある。
もしこれを飲めば、老け、そして……死ぬ。
私はそっと目を閉じ、カプセルを飲み込んだ。
数日後、鏡の中で見たのは――おでこのシワ。白くなった髪の毛。
「よし、ちょっと老けた!」
喜んでいる自分に驚いた。老いることがこんなにも嬉しいなんて。
私は再び、世界と同じ速さで生き始めたような気がした。
しかし、その後 10 年が経ち、20 年が経ち、50 年が経ってしまった。地球の人口は 2xxx 年を境に減少の一途をたどり、もう 100 万人くらいしか残っていないという。このまま自分は絶望のなかで生きていくのか、そんなことを考えながら目を閉じてー。
・・・ふと目が覚めた。鏡をのぞく。30 歳、年相応の自分のカオ。PC の最新 AI、プライアを立ち上げる。プライアは言う。
「あなたの研究について、その新規性・革新性・実現可能性と地球に関する近未来予測を組み合わせたバーチャルな意識内動画を作成してみました。あなたの人生は 94% 以上の確率を以て幸福から遠いものになると予測されていますが、このまま続けますか?」
わたしはクリックした。
"いいえ"。