医師で作家の方、最近多いですね、ということで自分もそこそこありがちなミステリをショート・ショートで書いてみました。
『メン・イン・ザ・ミラー』
都内某所。そろそろ築 50 年になろうとする古い病院の一室で、ひとりの男性が目を覚ました。
「……ここは?」
シンプルな設備。真っ白な壁と天井。脈拍、血圧、すべてを監視するモニター音。
「お目覚めですか、山田さん」
そう言ったのは、30 代後半と思しき男性医師だった。冷静な声。切れ長の目。スラリとしたシルエット。顔の下半分はマスクで覆われている。白衣の左にある胸ポケットにネームプレートがついているが名前はよく見えない。
「ご自身のお名前、わかりますか?」
「や……まだ……山田...修司……?」
自分の名前が口をついて出た。けれど、それ以外が思い出せない。年齢、職業、家族、住んでいた場所――なにもかもが、まっさらだ。
「心配いりません。事故のショックによる一時的な健忘でしょう。あなたが搬送された時、身分証も持っていなかった。でも、病院のそばで倒れていたということで、ここに運び込まれました」
「事故……」
「幸い、頭部打撲以外は軽傷でした。入院して今日で 3 日目になりますのでそろそろリハビリでも始めましょう」
医師は笑顔で目を細めているようだった。
だが、どこか違和感があった。
――この病院、静かすぎる。患者の声がまったく聞こえない。
あと、鏡がないのだ。トイレにもシャワー室にもエレベーターにも。窓もすりガラスになっており、目を覚ましてから自分の顔を見ることなく時間が過ぎていった。
翌日から、山田はリハビリを始めた。病院内の廊下を歩き、ストレッチをし、階段の昇降を繰り返す。しかし、廊下で他の患者に出会うことはなかった。看護師も数えるほどしか見かけない。
「この病院、静かですね」
「ここは治療というより静養が目的の患者さんが中心の療養型病院ですからね。騒がしくないほうが心身に良いでしょう」
医師は、あくまで丁寧に説明した。
だが、山田のなかの違和感は募っていった。
目を覚ましてから数日経ったある夜、山田は就寝前に薬を内服するフリをしてゴミ箱に捨て、夜中ひそかにベッドを抜け出して院内を歩いてみた。
消灯後の病院。廊下の蛍光灯が不気味に点滅している。
ふと、階段を下りた先に、「関係者以外立入禁止」の扉があった。
その扉は施錠されていたが、山田が指紋認証パネルに右手をかざすと音もなく開いた。
――静かに、部屋に入る。後ろで扉が閉まった。
その先には、薄暗い処置室。棚には薬剤や手術器具。
奥に進むと、カーテンで仕切られたベッドが並んでいた。
(誰か……いる?)
シーツにくるまった人影が、6 つ。
ただ、どれも動いていない。
恐る恐る近づいた山田は、そのうちのひとつのシーツを、そっとめくった――
「!」
見覚えのある目。それは “あの医師と同じ” だった。
しかしその目をみて山田はまるで鏡を見ているような錯覚に陥った。いや、それは錯覚ではなかった。
自分のカオを思い出したのだ。ベッドに横たわっているのは、まぎれもなく、自分とそっくりな顔をした人間。
しかも、その顔は――目を開けていた。だが動かない。生気がない。
心臓が高鳴る。
山田は震える手で、隣のベッドのシーツもめくった。
そこにも、また“自分”がいた。
顔つきはやや違う。しかし、輪郭や骨格は似ている。
つまり、どれも“自分”のような存在。
「……なんだ、これは……」
足音がした。誰かが来る!
山田はあわててカーテンの影に隠れた。
入ってきたのは、あの医師だった。自分と同じ目をしたあの。
「……あれほど動作モードをミュートにしておいたのに」
医師はひとりごとのようにつぶやくと、シーツがめくれているベッドのひとつに近づいた。
注射器を手に取る。
「この個体は、意識が戻るのが早すぎた。神経系の準備がまだ整っていないのに」
――個体?
注射器の中の液体は半透明で黄色い。
「戻さねば」
医師は注射器を “個体” の点滴ルートに挿そうとした。
だがその瞬間、山田は飛び出した!
「やめろッ!!」
驚いた医師は、注射器を取り落とす。
「お前……起きてたのか?」
「これはどういうことだ!?なぜお前は “俺” と同じカオで、さらに同じカオの奴らが何人もいるんだ!?」
医師は、ため息をついた。
「やれやれ、隠しても仕方ないか……」
「我々は――人間じゃない」
「は?」
「俺達は、あるリサーチプロジェクトで生まれた “ヒト型クローン” だ。
オリジナルの “山田修司” は、2 年前に事故で死亡した。
その遺伝子情報をベースに作られたのが我々だ」
「ふざけるな……!」
「ふざけてなどいない。“山田”という人間はもう存在しない。
我々は彼の記憶を再現し、人格を再構築する実験をしている。この実験は巨額の研究費が投入されており、政府も承認している。
君は最優秀モデルだ。“人格再現率”が 99.999% と非常に高い。だが――」
「だが?」
「自我が強すぎる」
医師は、ポケットから小さな端末を取り出した。
「君は、まもなく停止する。脳内に埋め込まれたチップをいじればすぐに」
と言って、医師は端末を操作した。
山田の視界が揺れる。
頭が、割れるように痛い。
「さようなら、“山田修司” さん、いや YS-31 号」
視界が暗転する。足元が崩れるような感覚。
しかし、最後に彼は、ある “気づき” を得た。
(……おかしい)
医師は、何かを隠している。
(なぜあの医師は、俺を“最優秀モデル”と呼んだ?)
("最優秀モデル" で "自我が強い" なら本人のクローン生成としては大成功のはずだ)
(あいつがなぜ俺を “人格再現率が非常に高い” などと評価できている?)
(――それができるのは、“本当の俺” だけのはずだ)
そして、闇の中で、彼は確信した。
自分は、限りなく人間に近い存在だ。もしくはこう言いかえてもいい。"山田修司に限りなく近いクローン" と。
今、俺こそが "オリジナルの山田修司" だ...。
"山田" は最後に残っていたチカラを振りしぼって医師の手にある端末目がけて近づいたー。
しばらくして、ニュースが流れた。
ある病院の医師が姿を消したという。
ただしクローン体のこと、クローン体が置かれていたベッド脇の床にそれぞれの頭部に埋め込まれていたチップが捨てられていたことなどは報道されなかった。
"オリジナル山田修司" の行方は杳として知れないー。